私にとっての母
子供の頃の私その2
私が生まれてすぐに母は病気になり、私は祖母の手によって育てられた。
多分2歳になる位まで。
赤ちゃんの頃の写真は祖母の家で、祖母に抱かれている写真が圧倒的に多い。
なので私にとっての母親像は「祖母」である。
祖母は働き物で料理が上手で優しかった…何よりも自分の手で育ったという思いもあってか、孫の中で一番可愛がってもらった。
私の母も働き物である。
しかし料理は上手くない、祖母のような愛情も注いでくれていないと子供ながらに感じていた。
なので大人になるまで母に対しては、どこか「恨み」のような気持ちを抱えながら生きてきた気がする。
怒られると「お前は川の橋の下で拾った」とよく言われた。
本気で「本当のお母さんは別にいるんじゃないか?」と思った事もある。
子供ながらに母親との間に見えない壁があるように感じ、どこか他人のような気がして、いつも母の顔色を見ながら日々過ごしていた。
だから人の顔色を伺う、人を良く観察するのは得意だ。
そのおかげで今の職業がうまくいっている気もしなくはない。
でもそれは結果論であり、いつもどこかびくびくしながら日々過ごしていた。
一人が好き
子供の頃の私その1
両親は共働きでしかも夜勤のある仕事だったので、生まれた時から保育園育ち。
今では考えられない事だけど・・・今それをしたらネグレクトで捕まる可能性あり。
小学校に入る前から昼夜問わず、一人でお留守番は当たり前だった。
むしろたまに近所のおばさんの家に預けられる事の方が嫌だった。
何歳から一人でお留守番をしていたのか??だが、記憶のある限りでは小学校に入る前から。
お弁当を作っておいてくれて、お腹が空いたら食べて。
両親の帰りをひたすら待つ。
自分の覚えている感情としては「寂しい」という記憶はなく、一人で楽しく過ごしていた気がする。
夕方に炬燵で寝てしまい気が付いたら夜で、「お化けがいる」気がして怖くて炬燵から出られなかった事を覚えている。
小学校に入る前からインスタントのラーメン位は作れたので、夜勤を終えて夜中に帰ってくる母のために作って待っていた事もある。
8歳になるまでは一人っ子だったので、一人遊びが上手だったし、一人が好きだった。
一人が好きは今でも変わらない。
私の弟は生まれつき心臓が悪かった
ブログを書こうと思ったきっかけ
生まれつき障害を持った子供を育てる親、または本人についてはTV等で取り上げられる事が多々ある。
でも、その兄弟として生まれた子供の事については取り上げられない。
私は8歳まで一人っ子だった。
8歳の時に弟が生まれ、生まれた弟は先天性の心疾患だった。
弟が生まれてから、私の生活はがらと変わった。
私は子供じゃいられなくなり、小さなお母さんとなる事を両親から求められた。
両親は求めたつもりは無かったかもしれないが、大人になり客観的に物事を見られるようになり・・・そう思った。
両親は共働きだったので、弟の面倒を見る事はもちろん、家事も子供ながらにこなしてきた。
子供の頃に感じていた事、大人になって感じた事。
自分も年を重ね感じた事。
両親や弟との関係性の移り変わり等。
体験した私じゃないと分からな気持ちを書いてみようと思った。
あまり長々と書くと読むのが面倒だと思うので、少しづつ短めに書いて行きます(笑)